いのち燃やした輝き
先日、ジャニーズが一挙に揃う番組を見返していて、ふと思ったこと。
『星空みたい。』
コンサート会場等で、私たちファンが振る、ペンライトの海を、そう表現する方もいる。
でも、私には、彼らが星のように思えて仕方なくなった。
星の輝きは、美しい。
人々が、祈りを捧げたり、涙したり、願いを唱えたり、想いを託す行為が、とても自然なものだと思えるほど。
ただ、その星の輝きは、星たちが、命を燃やした姿だ。
私達を感動させようとして、しているわけではきっと、無い。
それでも、私達はその輝きに、感動を、畏怖を、尊敬を、憧れを、切なさを、抱く。
だけど、そうして私達が星たちの輝きに涙している頃、当の星たちは、もしかしたら、燃え尽きているかもしれない。
だって星たちの輝きは、何光年という果てしない時間の先に、私達に届いているのだから。
ジャニーズも、いや、きっと、全ての「表舞台に立つ人」が、同じだと思う。
基本的に、舞台やコンサート等の現場以外で、彼たち、彼女たちの輝きをリアルタイムで見ることは叶わない。
それ以外では、彼らが命を燃やして表現したもの(DVDやCD、映画等)を後から聴いたり、見ることしかできない。
何ヶ月も前から、ともすれば年単位で、彼たち彼女たちは、ファンの誰もいない所で、少しずつ命を削るように、魂を込めて表現をしてくれていて、
私たちは、何ヶ月か何年か後に、彼たち彼女たちの「命の燃える美しさ」を、映像として、音として、時には別の形で、やっと知ることができるのだ。
舞台だって、コンサートだって、果てしない時間をかけ、いのちを燃やして、準備をしてくれているのだ。
「一等星になりたい」と願って、表現をしてくれる方も、
「ただただ、好きだから輝きたいんだ」という方も、
「見てくれる人がいるから」という方も、
彼たち彼女たちそれぞれの想いで、輝いてくれている。
時には、星座を象り、新しい形を見せてくれる。
その星座が、別れることもあるだろう。
誰かが、燃え尽きてしまうことも、あるかもしれない。
それでも、何光年もの時間の果てでしか受けとめることしかできない私達には、どうすることもできない。
それが、時に歯痒く、悲しく、辛かったりする。
だけど、だからこそ。
忘れてはいけないのだと、強く思う。
星たちが見せてくれる輝きは、無限ではないこと。
その輝きは、彼たち彼女たちが、いのちを燃やしたものであること。
その輝きは「私たちの為だけではない」こと。
しかし、その輝きを見て得た気持ちは、いつだって本当の、私だけの気持ちだということ。
いつかこの空から消えてしまうとしても、私は、私が大好きな星を、星たちを、見続けていきたい。