ぼそぼそひとりごと

V6・KAT-TUN中心にJ事務所を緩く愛でてます。

ロスメルスホルム 感想

私への備忘録(ほぼ初回見た時の感想)(配信見て補足等)

森田剛、身長160センチ台なので、今回の演者の中で相当小さい方なのに、出てきた瞬間に空気が締まった気がした。というか、一気に翳りを帯びた。
今回の舞台、結構早口で暗くて、でも急にコメディ要素?出てきたり、緩急がすごかったんですけど、森田剛がその中でしっかりと地に足が付いてるというか、森田剛の重さによって根っこが決まっているというか。
内容はまぁ説明が難しいんですけど、簡単に言うと「中世ヨーロッパの政治と信仰による対立をめぐる人間模様」って感じ。
森田剛は「代々引き継いできた牧師の家系の息子で、今は牧師を引退してぼんやり暮らしている」っていう設定なんですけど。
なので難しい言葉?もそこそこ出てくるし政治的意見で対立してるので討論するような場面もいっぱい出てくるんですね。
で、森田剛、話の中で一度も、笑わないんです。
コメディ要素が出てきても、笑わないんです。
他の演者はだれかと話す時に微笑んだりしてるのに。でも、それに誰も気付かないんですよね。(私だけか?)
笑ってないのに微笑んでるように声音が優しかったり、物腰が柔和だったりして、誰も笑ってないことに気付かないんですよ。
物語の終盤「あの人が笑ったところを見たことがありますか?」ってセリフで初めて気付かされるんです。(私だけですね)
(だって、友人を迎えた時のあの声の張り具合で笑ってないなんて、気付かなくない?)

それからね、物語の中心人物として話が進んでいくのに、森田剛はずっと、舞台の端っこに立ってるみたいな存在感なんです。
でも、確かにそこにいるんです。
大きく目立たないのに、無視できない存在感が確かにあって。不気味で、でもまとう雰囲気は柔らかくて。そういうアンバランスさを纏えているのがすごいなって。
いない時ですら、森田剛の影を感じてしまうんです。どこかで見てるんじゃないか、聞いてるんじゃないかって。
そんな不気味さが、あの森田剛にはあった。

でも同時に、なんにも知らない無垢な子どもにも見えた。
真っ白で、柔らかくて、固い、どこまでも純粋で崇高な魂を持った、言葉すら知らない、子ども。
だからこそ、揺らいで、揺らいでいる自覚すらなくて。
まるで揺蕩う死体みたいだと思った。

人は死でしか、ほんとうの自由にはなれないのかな。

話自体は森田剛以外の演者がものすごく早口でハッキリとした滑舌で、テンポ良くというか、早すぎるぐらい早く進んでいくんですけど、森田剛パート(?)になるとね、時間の流れがゆっくりになるんです。
そこでやっと私たち観客が息を吐ける感じ。
森田剛のセリフによって、今まで高速で流れて行ってた情報をかみ砕いて、整理して・・・みたいな。
どうあがいても、主役、という以上に、森田剛はそこに【必要不可欠】な人間だった。

彼の作り上げている空気感は、もちろんV6の時とも、バラエティの時とも、他の舞台とも違っていて、影を帯びているのに柔和で、儚いのに存在感があって、勤勉なのに堕落してるようにも見えて、無我夢中なのに諦念も感じさせて、厳格なのに優しくて、禁欲的なのになぜか色気があって、でも、絶対に触っちゃいけないって思える何か、があるんですよね。
目の前にいるのに、あるのに、掴めない感じ。
他の演者は「人間」って感じが強くするのに、森田剛だけは物語の中にいる人みたいなんですよね。
どこか、浮世離れしてるというか。

特に、なにをするわけじゃない。
ただ、そこにいて、じっと人の話を聞き、受け止め、そして話すだけ。
ただ、それだけなのに。
どうやってあの空気感をまとったまま、真っ直ぐ立っていられるんだろうって思ってしまう。
役をそのまま背負い込んでいるのなら、その重圧に押しつぶされたって仕方ないのに、それでも、諦めたような顔をしながらも、物事に真っ直ぐ向き合う情熱は持ってるんですよね。
不思議だった。

森田剛森田剛だった。
あの板の上で、スポットライトの下が誰よりも似合う人だった。

あと、全然関係ないけど、一幕の中盤で、かかとがぴったりくっついてるのにO脚の足(後ろ姿)を見て「森田剛だ…」って泣けてきた。話の筋1ミリも関係なくて自分で引いた。
なんでそうなったんだろうって今さら考えたら、たぶん私は怖くなっていたのかもしれない。
席がめちゃくちゃ後方で、双眼鏡使ってしか細かい動きが見えないので見てたけど、気付けば森田剛の顔ではなく、手や、足を見ていた。

動かないことが、気持ち悪かった。
どうしてそんな話をしながら、動かずにいられるの?
どうしてそんな話を聞きながら、感情を身体に表さずにいられるの?

だから、手や足を見て、本当に動いてないのか無意識に確認してたんだと思う。
そして行き着いたのはのはかかとがピッタリくっついてるのにO脚な【森田剛の脚】だったんだけど。

今回の舞台、とにかくシンプルだった。
無駄なものをぜんぶそぎ落とした先にあった舞台だな、って。

先に書いたように、お話自体は権力・思想・思惑・愛情、色んなものが複雑に絡み合ってるはずなのに、とてもシンプルに見えた。むきだしで立ってるみたいに。
生身の、すべてを突き詰めた先にある【人間】っていうものが見えた気がした。

カテコの時、出てきた人数の少なさに驚いた。
いや、当たり前だったんだけど。
それでも改めて、「たったこれだけの人でこの舞台を演じていたのか」と。
誰一人、なに一つ欠けることが許されなかった舞台だと思った。

どんなセリフにも意味があったんだと思う。
必要でないセリフは極限まで削ぎ落として、すべてのセリフに役割や意味があったと、感じさせられた。

動かないことにも、動くことにも、どんなことにも意味があるものだった。

最後、レベッカの死を止める時に初めて、レベッカに触れる。
身体的接触のない魂の結婚を求めていたロスメルと、どれだけ魂の交感をしていても肉体接触を求め、そしていつしか諦めていたレベッカの、初めての、触れあい。
しかも、ロスメルから手を伸ばした。
相手の死を止める目的といえど、ロスメルから。

きっとそれが、【一線を越えた】瞬間だったんだろう。
死を目前にしないと、この結末にはたどり着けなかった。
そのことにレベッカは改めて気付いて、絶望では言い表せない感情になったんじゃないかと思った。

でも、自らの意思で自分(の手の甲)にキスをしたロスメルを見て、やっとそこで初めて、報われた、救われたのかもしれない。
私ならきっと「ようやっと、この男がほんとうに自分のものになった」と、安心する。

レベッカはずっと「マイルール」を作ってたのかなと思った。
妻を自殺させられたら、信仰を捨てさせられたら、それを他人に主張できるようになったら、ロスメルがあの橋を渡ったら。
マイルールというよりも、賭けに近いのかな。

死が2人を別つまで、ではなく、死によって一緒になれる結末は、とても皮肉だったな。


あぁ、そういえば、カテコの終止符を打った(ように見えた)のも、森田剛だったな。
目線で、仕草で、終わりだと、告げられたように私は感じて、そしたら、カテコは終わっていた。

カテコになった瞬間に「森田剛」に戻れるの、いつもなんなんだろうって思ってる。
そんなに簡単にオンオフ切り替えられるもの?
歩き方すらも変わって見えて、憑依ではないんだけど、なんだろう、私にはオンオフとしか言えないんだけど。
憑依ではないんだよな、なんか。


森田剛の人生に、人生観に、考え方に、ロスメルが足されて、これからの森田剛を形作るんだな。
それって、すごいことよね。
私たちが見えている以上の情報(設定)が、演者さんたちの中にあって。
その中には今まで知らない、気付かなかった考え方とか感情もあるかもしれない。
そして、明日からの「森田剛」という人をつくる。

ロスメルが背負っている重さは、どう足掻いたって、分からないんだろうな、とぼんやり思う。
頭で理解することはできても、体感としてはもちろん無理だし、そもそもそうなったらきっと私は発狂してしまうな。

それぐらい、重いものなんだろう。
それを1人で抱えて、なお真っ直ぐに立っている森田剛は、どうやって立っていられるんだろう。

なにもかもをかなぐり捨てたくなるほどの絶望に駆られながらも、どうして、情熱を失わずにロスメルは立ち向かえて、それを表現できるのだろう。
やっぱり、なにも知らないからなのかな。
それとも、すべてを知ってるから、なのかな。

レベッカも、妻も抱いていた「肉体的接触がしたい」は、愛の中でも最上級に重いのかもしれないな、とふと思った。
というか、それを相手の意思を尊重して抑えていたからこそ、最上級に重く感じる、っていうことであって、ただの性欲が愛の中でいちばん重いとは思わない。

男の人のことは分からないけど、女性がそんなに長く、深く肉体的接触を求めるのって「この人の子どもが生みたい」以上の感情がないと出てこない発想では?とか思ったり。
ましてやあの時代で。
ほぼ本能で愛しているに近いというか、魂レベルで深く求めているというか。

それに対してのロスメルは、性的欲求を抑えるような育て方をされたからそうなったのか、それとも元々の性質としてあまりそういったことが好きではなかったのか。
好きではない以上に、嫌悪感すら抱いてるように感じた。
直接的ではないのにそう思わせられるって凄いよな、って。

複雑でシンプルで、考えさせられる舞台でした。

アーカイブであと何回か見たら、感想は変わるかもしれない。

仁亀厨のつらつら感想。

ほぼポエム。





2023年11月15日
「【恋バナ】後輩 目黒と恋愛トークをしたら「ダサい」と言われてしまいました・・・」
感想



個人的には、目黒蓮という人と亀梨和也のコンビは大好きなので嬉しかった。
後輩といる亀梨和也が、好きだった。

たくさんの人といることが好きなのに、亀梨和也、であるが故、怖い印象を持たれやすいと、私は思ってるから、そんな亀梨和也が誰か、他の人といて、優しく笑ってるのが好き。





【あの頃】のこと、2人はどう思ってた、そして、今はどう思ってるんだろう。
憧れで大好きな先輩だった赤西仁と、なついてくれてたくさん真似してくれた可愛い後輩の亀梨和也と、勝手にライバルや不仲や、そんなことにされて、ほんとうは、どう思ってたのかな。
「勝手に」、これも事実かどうか分からないけど。

もしかしたら真実だったかもしれないし、ウソだったのかもしれない。
まことしやかにささやかれていた、「事務所に不仲に見せるように指示された」という、あの噂も、ほんとかどうか、私たちには分からない。
どっかで言ってたらごめんだけど。忘れてる可能性がありすぎて自分が怖い。
でも自分から再度答え合わせにいく勇気はない。

きっとそうだと、信じることしか、そんな噂に縋ることしか、できなかったのだと、今では思う。

不仲だと、信じたくなかったから。

時間をかけて輪郭が曖昧になってやっと、私も、「真実は分からないよね」と、心の底から思えるようになった。

なのに。

亀梨和也赤西仁のことを「ライバルだと思える間柄ではなかった」と、言った。
これもほんとうの意味は、彼にしか分からない。

でも、「そうだよね」と、思った。
あなたは赤西仁のことを兄のように慕い、憧れ、目標としていたものね、と。
同じ立場だった。
中合わせの鏡みたいだった。
同じジュニアで、同じグループで、隣で同じ先頭にいて、同じ夢を追いかけていたもんね。

それでも、横に立ってなお、ライバルにはなりえなかったんだろうか。
ずっと、憧れた人のままだったのだろうか。

それが、努力の人である亀梨和也の、考えだったんだろうか。
どこまでも「才能」に愛された赤西仁に、最後まで「同等だ、ライバルだ」と、思えなかったんだろうか。
傍目には対等に見えて、内面ではずっと、勝てないと思っていたんだろうか。

もしそうだとしたら、どれだけ辛かっただろう。
憧れの、追い付けないと思っていた人が居なくなって、そしてその穴埋めを自分が任されるなんて。

もしそうだとしたら、ツートップであることで得れていた安心感はきっと、すごく大きかったんだろう。
そして、それを失くす辛さは、どれほどのものなんだろう。

赤西仁は、自由で、天真爛漫で、才能に愛されていて、どこまでも、人を惹きつける何かがあったと思う。
それが才能なのかも、しれない。
私たちが魅せられたように、亀梨和也もまた、魅せらていたのかな。

あの短い言葉の中で思い知らされたのは、亀梨和也は、赤西仁を、仁亀を、【シンメ】を私達よりも遥かに重く受け止め、考えているということだけだった。

シンメは呪いだと、ずっと思っている。

明確にシンメが決まっていたKAT-TUNだとなおさら、ツートップだと言われていた2人ならなおさら、そうだったのだと勝手に思っている。

シンメにもそれぞれの形や関係性や感情や重さや軽さがあって、その中でもきっと、仁亀というシンメは、シンメという事実が重かったんだろうな。
負担、ってことではなく。

あぁでも、そうなると重かったのはツートップ、ワントップという言葉なのかもしれない。

亀梨和也が昔言ってた、「メンバーが減ってから、辞めることも考えた」「アー写で自分を指で隠して、この方がバランスいいよなって、考えたりした」って話が、忘れられない(ニュアンス)。

赤西仁と2人で立ち向かっていた日々からの、ワントップとしての重責は、どれほどのものだったんだろう。

そしてそれを今「時期が重なったことに感謝している」とは。

赤西仁がいなければ、「アイドル・亀梨和也」は存在しなかった。絶対に。
シンメでなければ、きっと、今日の亀梨和也は存在しなかった。

それぐらい、亀梨和也にとって、赤西仁の存在は重いんだろうと勝手に思っていたのに、それが、(きっと)事実だと?
なんなんだほんとうに。
いい加減にしてくれ。


あの頃のKAT-TUNに対して、私はずっと夢を見ている。

そして、あの頃の2人のこと、関係性。
そんなものは平成にとっくに置いてきたつもりになってた。
たまに取り出して、懐かしく、感傷にふけって眺めるだけだった。

それでも、充分だった。
人は思い出の中にいる時が一番美しいから。
その美しい思い出をたまに眺めて、それだけで満足だった。


あの動画を見て「ムラサキ」が頭に浮かんだ人がいたらしい。

「うまく言えないサヨナラが素直な自分へと変える」
「近づけば近づくほど 離れてく気がしたよ」

なんか意味分からんけど「どんな伏線回収だよ!」と叫んでしまった。

こんな、15年以上の時を超えて、こんな、こんなことってあるのか?

今まで私は仁亀厨として、ムラサキ記念日やボニバタや些細な仁亀案件をそっと、大事に抱きしめていきてきた。
きっと多くの仁亀厨も同じだと思う。

それでも、みんなきっと、あの頃のことは平成に置いてきてたんだよ。
大事に抱えながらも、いつの間にか諦めの色が濃くなって、でも捨てることはできなくて、そういう、思い出とか、過去とかにしてきたんだよ。
タイムカプセルというよりも、墓標みたいな。
よく「墓を掘る」なんていうけど、ほんとに、そんな感じ。
明確に掘った覚えはないけど、気付けば掘っていて、埋めてたんだと思う。
それを本人に掘り返される気持ち・・・死者がよみがえったよりタチ悪い。

これが害のあるゾンビなら、一思いに殺すこともできただろう。
でも、なんか分からんけどもはやなんか癒しの効果とか効能があるような、そんなゾンビとして、来られたらさぁ!

なんていうの、写真1枚しかなかった思い出をいきなりVRで細かい所まで隅々まで見せつけられる、みたいな?
あ、あそこ記憶と違うじゃん!って突きつけられてるような?

シルバニアファミリーで遊んでたのにいきなりコストコのデカクマちゃんがやってきた、みたいな?
赤い屋根の大きなお家にコストコのクマちゃんは入らんのよ。

子どもの頃に駄々こねて買ってもらって遊び尽くして忘れ去った人形が、ある日家に帰ったらリビングのテーブルに座ってた、みたいな?

もはや恐怖だよ。なにこれ、なんでこんなことになってるの?

誰かにこの胸の痛みを共感してほしいからずっと例えを考えてるのに浮かばない。

もっと言葉というものを、感情というものを勉強しとけば良かった。
この気持ちを言葉にできないのが悔しいし悲しいし口惜しい。
こんなにも、熱くて強い感情なのに。

てかふざけるなよ、こっちが時間をかけて淡い思い出にしてきたのに、それをこんな・・・こんなひっくり返し方あるかよ。
もう逆に怒りが湧いてくるのなんで?
嬉しいはずなのに、なんかもうよく分からなくなってくる。

あの頃は、いつ思い返しても綺麗なんだよな。
やっぱり【思い出】だからなのかな。

どうして、今さら言葉に出し始めたの?
消化しきれたの?それとも、思わず過去を眺めてしまうぐらい、何かに疲れているの?

KAT-TUNはいつも、いつだって、痛みも悲しみも傷も、ぜんぶ抱えて、なかったことになんてしないで、ずっと前を向いてる。
ぜんぶ受け止めて、どんな言葉にだって、真摯に向き合って。
そうして、ただひたすらに真っ直ぐ、「傷なんてないよ、痛みなんてないよ」って顔して、私達に微笑みかけてくれる。

KAT-TUN孤高の人たちの集まりだと、今も昔も、ずっと思ってる。
個々が孤高であるからこそ、KAT-TUNなんだと、ずっと。

なのに、なんで今、このタイミングで?
何かの匂わせなの?
匂わせであってくれと願わずにはいられない。
そしてその結末は幸せなものであってほしい。

これ以上、悲しみたくない。





絶対関係ないけど、fantastia、初めて聴いた時、「お別れの前触れみたいなアルバムだな」と思った。

今回のツアーも、なんだか、過去をふんだんに盛り込んでいて、ものすごく楽しかったけど、でも、怖かった。
ここ数年でいちばん好きなコンサートだったんだけど、ずっとどこか、不安だった。

どうして、周年でもないのに、こんな切なくなるコンサート編成だったんだろう。
いや私が勝手にそう感じただけなんだけど。

ただ今は、この私の恐怖が外れてくれと、そう願うことしかできない。


私は、KAT-TUNKAT-TUNでいることを選び続ける限り、この船に乗り続けると決めた。
これは私の反省からの意地だ。

メンバーが減って、KAT-TUNという概念が変わってしまうと思い込んで、そしてひととき、離れた。
仕事が忙しいなんて言い訳だよな、知ってる。

それでも、私が戻ってきた時、KAT-TUNは3人だったけど、何も、変わってなかった。
6人の時と、【KAT-TUNという概念】は、なにひとつ、変わっていなかった。

だから、だから、自戒を込めて、絶対に、KAT-TUNがこの船を手放すまでは、ちゃんとhyphenで居続けると、決めた。
決して、熱心なhyphenではないと思う。
こんな偉そうに語れるほどのhyphenではない。

それでも、KAT-TUNという概念が私の軸になっていることは事実だ。


その中でもやっぱり、仁亀は核で。
申し訳ないけど、そんじょそこらのシンメと比べてもらっちゃ困る、と思っちゃうぐらい、仁亀というシンメに対しては激重の感情を抱いている。

私はあの頃、もしも子どもが生まれて、その子どもが男の子の双子だったなら、絶対に隼人と竜と、名付けると決めていた。

仁亀は、シンメであり、友人であり、兄弟であり、ライバルであり、同士であり、戦友であり、運命であり、宿命だと、思ってた。
その全てを足したら、仁亀になる。

それだけの言葉を足さないと仁亀にはならない、ぐらいのことは思っている。
なんならこの言葉たちでも足りないぐらい。
でも私には仁亀を表す最上級の【シンメ】という言葉以上のものは知らない。
悔しい。もっと素敵な言葉があるはずだろう。
仁亀を表するのに相応しい、美しくて儚くて、強い言葉が。


どこか遠く、心の中だけでそんな風に思っていたのに、いきなり、そんなのズルいだろ。
なんで今さらそんなこと言うの。
なんで今、このタイミングなの。
どんな意味があるの、その言葉に。

裏なんてなくても探しちゃうんだよ、オタクだから!
勝手に言葉の裏の意味を探して考えて、そうやって1人で一喜一憂するんだよ、オタクなんだからさ。


KAT-TUNはさ、強いんだよ。
強くて儚くて孤高で美しくて。
誰よりも高みからこちらを見下ろしているんだよ。
それが好きなんだ。そこが、大好きなんだよ。


なのになんでこんな、こんなタイミングで不安になるような、いや、普通に喜べばいいのに、嬉しすぎて怖いのかな?
1人で怖がってるだけなのかな。多分そうだな。ごめん。

なんかもう分かんないや。
でもとにかく怖い。仁亀怖い。

ほんとうに精神衛生的に悪いからいきなりこんなのぶっ込まないでください。
勘弁して、ほんとに。
体調崩すってまじで。
ちゃんと予告してほしい。

てかコンビニ行けなかったって。
鳥かごって。
そんな中で亀梨和也にとって、赤西仁って結局どういう存在だったの?

やっぱり、追いつけなかった憧れの人なの?
お兄ちゃんなの?

いや、違うよな。
たぶんそんな陳腐な、ありふれた言葉じゃ表せられないよな、仁亀って。

仁亀重すぎる。
亀梨和也が、我々が思ってる以上に仁亀というものに対して重い。
分かってたけど重い。
もうこの動画の端々から勝手に感じ取っちゃってしんどい。



不仲でも、不仲じゃなくてもいい、なんでもいいから、いつか、6人がもう60代とかになって、全てのしがらみから解放された時、また6人でたった1曲でいいから、歌ってほしいと、ずっと、祈っている。

岡田准一写真展 ネタバレ有 感想

※写真展ネタバレ感想※随時追記※

①入場まで
私は初日の19時〜(集合時間18時50分)の回でした
18時40分ぐらい?に、会場前に着いた時点で「ただ今19時〜のお客様ご案内してます〜」のお兄さんの声
もう入れるのか!!と意気揚々と階段を3階まで上がる
(エレベーターは使ってはいけない)

着いたら、オタクが入場待ちの列を作ってた
ロビーに折り返しでオタクが2列に並んでる
今回の写真展の為の動画(?)が流れてたけど、設置位置が高くないので、並んでる場所の運が良くないとほぼ見えない(音声もそこまで大きくない)
→後日、岡田くんの会見?が映ってた朝の番組で確認したら、そこで会見?してた

18時50分に「少し早いですが、入場開始します」とのことで、入場開始
ここからはかなりスムーズに流れるので、ここでも動画はほぼ見えない

スマホQR表示して、入場
※レシートみたいな半券はもらえない
紙チケの人は半券返してもらって入場

1番目のお部屋は、真っ白なお部屋
⁡そこで印象に残ったのは、(おそらく)Mステ最後の出演後の長野くん、健ちゃん、イノッチの写真
まだ続く日々があるからか、最後って感じがしない、日常の彼らの姿を垣間見たようで嬉しかった

1番目の部屋の写真達はプライベート感?強いものをチョイスしたって感じ
サラダを食べる健ちゃん、ヘアメイク前の美容院状態の坂本くん、新幹線のホームでふざけちゃう(?)イノッチ、ハンディファンでポーズ取る長野くんを撮れるのは岡田くんしかいないよね

2番目の部屋に入るなり目に飛び込んでくる彼らの姿に圧倒された
いきなり感情の芯を殴られたみたいな気持ちになった
朗らかで爽やかで仲良しな、いつものV6なのに、やっぱりほんの少しの淋しさが見えている気がして
剛くんが真ん中にいることに他意はないんだろうけど、和田さんが仰ってた『V6の顔は森田剛だった気がする』という言葉を思い出した
V6は誰でもセンターになれるほど、全員の実力なんかが高いグループだと思っているけど、自担の贔屓目なのか、剛くんが真ん中にいる時のV6がいちばん、私にはしっくり来る

その剛くんに両手を回している健ちゃん、健ちゃんを気にも止めていない剛くん、そんな2人に必ず寄り添う岡田くん、寂しんぼの健ちゃんに寄り添う坂本くんに、そんな坂本くんを1つだけなのにずっと「年上・リーダー」として立ててきた長野くんの腕が乗り、イノッチは岡田くんに寄り添う
私の大好きで大切なV6だった

それを見た後、入ってすぐ右の壁に書いてある岡田くんの言葉で、たぶん全員泣いたんじゃない?違う?

『最後のコンサートが終わった時の写真は自分が撮ろうと思ってたけど、上田さんに依頼した
最後のその瞬間、自分は撮る側ではなく、メンバーとしてその瞬間を噛み締めるべきだと思ったから』(ニュアンス)
『まだ好きでいてくれて、苦しんでる(悲しんでるだったかも)みんなに見せたかった』(ニュアンス)

その文字を、言葉を噛み締めて改めて6人の最後のコンサート終了後の写真を眺めて、なんていうか、しみじみとV6ってやっぱりいいなぁ、大好きだなぁって思った
あの写真は本当にずっと見てられる
てか、かなり長い間見ちゃってたかもしれない

2つ目の部屋の左手側には縦6列の写真が壁一面に並んでた
私が1番印象に残っているのは、左手側(手前)から2列目、下から3枚目の、健ちゃん以外の5人が写ったスーツの写真
なんでか分からないけど、すごく好きで、印象に残ってる

途中でKinKi Kids、キンプリの岸くんが写った写真もあった
DuoのCM撮影中に会ったのかな?
てか、もう1人ってあれって小原くんですか?
(全然違うかったらごめんなさい)

あと、ラストコンサートの後に撮ったであろう他のジャニーズの方との写真もあった
位置が高すぎて写ってる人全員が分からなくて、でもみんな見たくてそこが混むから行列がちっとも進まない

行った時に「これは写真展の配置とか変えなきゃやばいのでは・・・?」って思ったな
私は19時〜の回だから後ろの組が来るわけじゃないけど、これ他の時間なら後ろの組が入ってきちゃうもんね

写真サイズと引きの構図が多いこと、結構高めまで配置されてること、細部まで見たいオタク、全てが合わさって、全然進まない行列だった(笑)
スマホも触れない中でじーっと並んでるの、想像以上にキツくて、何回か諦めようかと思った

その壁の写真たち、想定された順序通り見ていけばおそらく最後の1枚、壁のいちばん右(奥側)、いちばん下は、岡田くんへカメラを構える剛くんの写真だった
2人だけの世界だった
それが意味するところは想像でしかないけど、でも、泣いてしまった


メンバーそれぞれの3角ポール?に飾られた写真と衣装、凄かった、面白かった
こんな素材の生地なんだ、とか、ここにボタン付いてたんだ、とか、それぞれのネームタグとか、もっともっと見てられたな

あの生地がどうしても欲しいんだけど、なんとかならないものか・・・

3角ポールは
①ラストコンサート終了後に撮った(であろう)個人のソロショット
②ラストコンサート時に着用してた衣装(ジャケットのみ)
③岡田くん以外は、ソロショット(時期等バラバラ)
岡田くんのは写真集に乗ってるのと同じコメントと、カメラ

3角ポールでいちばん印象に残ったのは、やっぱり剛くんの笑顔
V-Landかな?で見た時にも思ったけど、あんな優しい顔で岡田くんに笑いかけてたんだね
岡田くんをどれだけ大切に思ってるかが伝わってきた
ワンズ魂の「危ないよ」ってやつ、思い出しちゃった
剛くんはやっぱりずーっと、岡田くんのお兄ちゃんだね

右手側の壁には、左手側とは打って変わった、大きなサイズの写真が何枚か
どれも本当に素敵で、でもなんだろう、岡田くんの愛かな、悲しいとかじゃなくて、ほっこり?した

2番目の部屋を出る直前、右手側の、踊ってる(ターンしてる?)写真、シンメがちゃんとシンメしてるなぁって笑っちゃった
坂長と剛健はシンクロして、イノッチと岡田くんはなんか、自由なの
なんか、うんうん分かる!ってなっちゃったな

最後のエリア、健ちゃんがお裾分けしてくれた写真
ここだけ撮影可
お姉さんが写真と一緒に撮影してくれます
一緒に撮れるなんて思ってなくてびっくりした

でも、アクスタとか使ってオシャレ撮影するのには向いてないかも?
なんせここも次から次へとお姉さんが撮ってくれるからすごい速度で進むし、人が入ってないタイミングで全体の撮影、難しい
私だけかな?

ショップエリアに入るのにも並んだ
並んで、お兄さんが「ではここから前の方、ショップ入場してくださーい!」って定期的に言ってくれる

ショップエリアは狭いので、買う物は決めてから入場した方がいい!絶対!
実物見てから・・・とかするのは結構邪魔になってしまうと思う
レジはスムーズ
久々に、レジした後、すぐにレジから離れる為にグッズ抱えてレジから離れて、持参したバッグに立ちながら必死で詰める、っていう懐かしい体験した
「あぁ、ジャニショにオンラインが無かった頃はいつもコンサート会場でこうしてたな・・・」って感傷に浸れた

19時組はもう20時過ぎたら施設が閉まってるからエレベーターで1階まで降りたけど、その他の組は普通に階段で降りる



全体的な枚数を見てて、岡田くんって、やっぱり剛健好きだなぁって笑っちゃったな
「剛健はフォトジェニック」って言葉、何回も思い出しちゃった

剛くんって【孤高】って言葉がとても似合う人だと思う
剛くんソロの写真の中でも、センターに1人だけ、って構図の写真が何枚かあったけど、それが私が思う森田剛の解釈と同じすぎて、最高だった(語彙力がない)
光の中、もしくは闇の中でただ1人真っ直ぐ立っている、それが私の信じた森田剛だった
ただそこにいるだけなのに「強さ」を感じるのはなぜなんだろう
そしてほんの少し、淋しいのはなぜだろう

どれもこれも、岡田くんだから撮れた写真であって、それらはこの26年間、岡田くんが心を揺さぶられた瞬間たちだけなんだなと思うと、本当に「ありがとう」しかない

あんなに大事な瞬間たちを見せてもらえるなんて、なんて私は、私達は幸せなんだろう

アイドルには一方通行でしか想いが届かないと思われがちだけど、私は、私達は、間違いなくV6に愛されて、大切にしてもらったね

⁡あの時感じた気持ちは、やっぱりその瞬間が1番鮮度が高く、熱いんだろうけど、あの日から今日まで、いつあの日を、あの写真達を思い返しても、ものすごく幸せな気持ちになる

ありがとう、岡田くん
あなたしか見れない、あなたしか見るべきではなかった景色を見せてくれて
私は本当に嬉しい
本当に幸せ者だと思います

ありがとう、V6
たくさんの素敵なものをくれた
どれもかけがえなくて、大切で
全て抱えて歩いていきます

ありがとう、V6に関わってくださった、すべての方達へ










11月1日の18時前、始まってほしくて、でも始まってほしくなくて必死に涙堪えてたあの時の私に伝えてあげたいな

「あなたは今から数時間後に、ちゃんと心からばいばい!って思えて手も振れるし、その後WONDERERが最高すぎて泣きながら頭抱えることになるし、健ラヂは何があっても聞かなきゃいけないし・・・思ってるより忙しくて嬉しいことがたくさんな日々が続くよ
大丈夫、あなたはV6にこんなにも愛されてるんだよ
V6はあなたを置いていかないよ」って

・・・まぁホンマにこれ言われたらネタバレすんなってキレるけど

今日、フラゲのDVDを今から取りに行くから、それまでにはとりあえずでも完成させたかった

DVD、楽しみだけど、怖いな
早く見たいけど、見たくないな

V6とファンの関係性について


最近、V6とファンの関係性についてぼんやり考えてたんだけど、「交換日記してるみたい」って思った。

こちらは文字で、あちらはパフォーマンスで。

私達はSNSとかラジオのメールとかで思いを伝えて、それを受けたV6がパフォーマンスやその他諸々で返してくれる。

私は、V6を応援するようになって初めて「アイドルから愛されているんだ」って明確に思えた。

別に他のアイドルがファンを愛していないとかではなくて、V6からもらえる愛は「ファン」というよりも、明確な「個人」を想ってのものじゃないかって思ったってこと。

「【私達ファン】は愛されている」ではなくて「【ファンである私】は愛されている」って感じた。

お互いに人間だし、V6には色んな縛りがあったと思う。

でも、その中でも彼らはいつだって最高を更新してくれて、どこまでだっていけるんじゃないか、っていう【永遠】を錯覚させてくれた。

人間が人間に対して【永遠】を錯覚させるって、とても凄いことだと思う。

「人は必ず死ぬ」っていう事実を抱えて生きている以上、なかなか人に対して【永遠】をみることって少ないと思う。
(永遠であってほしい、っていう願望は別)

V6は永遠ではなくなってしまったけど、彼らが何度も伝えてくれた愛を抱えてこれからも生きていくんだろうなと思う。
永遠に残る曲や彼らの映像と共に。

もうV6と交換日記ができなくなるのかと思ったら淋しすぎるけど、この両手には彼らがくれたものが山ほどあるし、「ありがとうと大丈夫」をおまじないにして歩いていこうと思う。







特にオチも何もないけど、ふと思ったことを書いてみたくなっただけです。

もしも読んでくださった方がいたらありがとうございます。

ダイジェストムービー、最高でしたね。

早くDVD発売されてほしい。
(でもゆっくり編集してほしいからあと1年は我慢できる)

忘れたくないこと〜2021年11月1日 V6 LIVE TOUR groove〜

ぜんぶ私の主観。
順番バラバラ。
思い出せたら追記していくと思う。





2021年11月1日 V6 LIVE TOUR groove

「楽しいねぇ!」って何度も言ってくれたイノッチ

リフターがぐわんぐわん揺れるぐらい、大きく手を振っていた岡田くん

絶対誰も見落とさないとばかりにずーっと周りを見てお手振りしてた長野くん

リフターが上がる時、眩しいみたいな、優しい顔で周りを見渡していた坂本くん

些細な瞬間でも、ずっと周りを見てファンサしてた健ちゃん

音の海を泳ぐみたいに踊ってた剛くん

なんの曲だったか、すれ違う瞬間にイノッチの肩を叩いた岡田くん

「雨」で階段を下りる時、右手をぽん、と付いた剛くん

「雨」で絞り出すような表情のイノッチ

「僕達の音楽だけは誰とも比べられない」って歌った坂本くん

随所で、お手振りするでもなく、ぼんやりと、優しい瞳で会場見回してた剛くん

「素敵な夜」で本当に楽しそうだった6人のこと

95grooveで折り返した時、まるで剛くんを追いかけるように踊ってた健ちゃん

1度目も2度目も、誰よりも真っ先にトロッコに乗った剛くん

(正式な立ち位置だったのかもしれないけど)トロッコを降りても、端のステージの段差(?)に登って手を振ってくれていた剛健

「おっ」って顔して、手を振ってくれた剛くん

初めて正面側から見れたMFTP、坂本くんの足上げ

いつも通り、ものすごくしっかりしゃがむ剛くん

95grooveで、誰よりも先に折り返し始めたのに、(立ち位置の問題はあれど)一番最後に階段を登った剛くん

楽しそうに、本当に楽しそうにステップを踏んでいた剛くん

95grooveで、なかなか折り返さずに、ずっと私達に手を振ってくれていた坂本くんと長野くん

泣きそう(?)なイノッチを笑わせようと(?)していた岡田くん

誰よりも先に、私達に頭を下げてくれた剛くん

挨拶の時、誰よりも強い瞳で真っ直ぐ前を向いていた坂本くん

「間違ってない」って、言ってくれた剛くん

「退所」のことを「出る」、って、表現してくれたこと
(「進学を機に家を出る」とか言うもんね)

「誇りに思う」って、言ってくれたイノッチ

アンコールで、6人で肩組んで出てきてくれたこと

私達のありがとうが、ちゃんと届いたこと

ただ歩いてるだけで、誰よりもかっこよかったV6

最後の最後まで、どこまででも、全部が、私が好きになったV6だったこと

STEP FAMILY

今、11月2日、ホテルで1人でこれを書いている。



「V6 Live tour groove」、復活当選をして、最終日、彼らを見てきた。

V6ファンは11月1日、
10時〜V-Land ヒストリートンネル 公開
12時〜シリアルナンバー登録 (締切:11月16日 23時59分まで)
18時〜ライブ
22時〜V-Land WONDERER公開
24時〜三宅健のラヂオ(生放送)
という鬼のようなスケジュールで、みんな大変だったよね。

わかる、私も。

シリアルナンバーはまだ登録できてないけど。



今日のコンサートでマスク替えなきゃ絶対帰れないぐらい泣いて、でも最後、終わった後みんなずーっと拍手してて、それ聞いてたらなんだか清々しい気持ちになって、コンサート帰りの電車でWONDERER見て、また泣いて、健ラヂで笑えて、明日また生きれるインスタライブの約束まで貰えた。

なんて幸せなんだろうと思う。








でも、やっぱり、やっぱり淋しい。

どれだけ芸能界や世間が変わりつつあっても、今はまだ、退所した人とジャニーズが共演とかするのは難しくて。

剛くんと5人が揃っている所を見ることは、もしかしたら本当に今日が最後かもしれなくて。

そう思うと、やっぱり悲しい。

二度と、V6の「最新作」を、受け取れないんだってことが、悲しいよ。




私はたぶん、「変わっていくもの」が苦手なんです。

ずっとずっと変わらないもの、「永遠」をV6にみていたんだと思う。


V6なら居なくならない

だって、「ここから居なくならないで」って、言ってくれたもんね

だからあなた達は、居なくならないでしょう?


って、思ってたんだと思う。






でもやっぱり、春が来て学年が上がるように、進化し続ける彼らには、「このまま」は違うかったのかなって、今は思う。


「V6は心の中に生き続ける」

「これでさよならじゃない」


分かるけど、言いたいこと、伝えたいことは分かるんだけど、それでもやっぱり、淋しいよ。




剛くんが「間違ってなかった」って言ってくれて、良かったなぁ。

私、ないだろうと分かっていつつも、もしも剛くんに謝られていたら、どうなるか分からんなって思ってた。

自分の決めた道を突き進む剛くんのことを、私は好きになったんだもん。

決めたのなら、あなたがそう決めたのなら、どうか振り返らずに進んでほしいとも思う。

私達は泣きながらでも、あなたが選んだ道を進むのを見て、追いかけていくだけだから。





V6は、謝らなかったね。

自分達の決断に誇りをもって、前に進んでいくと、私達に伝えてくれたね。

でもそれでも、やっぱり淋しいのよ。
悲しいのよ。

もう二度と「特捜9だ!新曲来るぞ〜!」とか「そろそろ2年経つし、コンサート来るか?」とか、そんなんできなくなるんかって思ったら、とにかく悲しい。





彼らの決断に文句を言うつもりはない。

でも、V6は私達が淋しいって悲しいって思ってしまうことを許してくれてるから、しばらくはそれに甘えていこうと思う。




アンコールでV6が肩組んで出てきた時、V6からの最大のファンサだと思った。

絶対そんなこと、ねぇ?しないじゃんか。

それを特別に、私達の為にやってくれたんだなって思ったら、嬉しかった。





坂本くん、あなたがリーダーで良かったって、私達だって思ってる。きっと、伝わってるよね。
一体何を決めたんですか?
いつか教えてね。

長野くん、あなたの言葉で、報われたと思えました。
私達のありがとうはちゃんと伝わってたんだと思えた。

イノッチ、私達を誇らしいと言ってくれた時、ファンとしてこれ以上の賛辞はないって思ったよ。
いつもいっぱいお話してくれてありがとう。たくさんたくさん、気持ちを掬ってくれてありがとう。

剛くん、どうか、どうかずっと幸せで。
どうかずっと笑っていてください。
あなたの進む道をずっと、追いかけていく。
絶対に届かないあなたの背中が、いちばん好きなんです。
思い出さなくていいから、忘れないで。

健ちゃん、大事な11月1日の夜を私達にくれてありがとう。
泣くことを、悲しむことを許してくれたあなたがいることは、私達は本当に幸せなんだと思います。

岡田くん、ずっとV6は進化していると言い続けてくれたから、体現してくれたから、終わる未来に悲しんでばかりではいられないと奮起できた。
あなたしか見れなかったはずの景色を、共有してくれたこと、絶対に忘れない。
あなたの目から見たメンバーを、絶対に忘れない。





V6からたくさんの宝物を貰った。

CDやDVDみたいな「物」はもちろん、喜び、悲しみ、辛さ、誰かを好きになること、他人に「幸せになってくれ」と心の底から願えること、進化し続ける限り、【永遠】はないこと。

どれも素敵で、キラキラしてて。

こんなにたくさんの宝物、どう処理していいのかも、今は分からない。

今寝て、起きた時にどういう気持ちになるのかも、分からない。

なんにも、分からない。



でも、当たり前に明日はやってきて、私達は生きてる限り、歩き続けなきゃいけなくて。









私事だけど、今年母が亡くなった。

今年は本当に、私にとって人生で一番、最悪な年だと思う。

何回も何回も「2020年に戻りたい」って思った。

解散するV6が、よりにもよって「家族」を歌うのか、と。

私には辛すぎて、でも、今日やっと、しっくり来たよ。


「家族」で、あの四角からなんの躊躇いもなく出た剛くん。
退所、ではなく「出る」と言った剛くん。


上手く言葉にはできないけど、しっくりきたの。

ただ、STEPが上がっただけ。

4月がくれば学年が上がるのと同じように。

誰も、ひとところには留まっていれない。

停滞は退行と同じだから。

進化を続ける限り、いつか形は変わって、淋しいこともあるけど、それが進化した証で。

ただ、ステージが上がっただけ。





いつかまた、V6に、会えたらいいなとも思うし、会えない方が彼ららしいとも思う。

Full Circleになり、それぞれの道を行くあなた達にありがとうとさよなら、またいつか、の花束を。
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あなた方を好きになったこと、愛せたこと、愛されたこと、ありがとうと大丈夫を貰えたこと。

全てが私の誇りです。

どうかお互い、ずっとずっと、笑っていられますように。

中丸雄一のリア恋枠考察


私はいわゆる永遠の「ごく出新規」で、元々赤西仁担当でした。
仁くん脱退の直後に社会人となり、KAT-TUNから徐々に離れ、まさかのじゅんのの「KISS KISS KISS事件」(私はそう呼んでいる)から、KAT-TUNに出戻りをしました。

戻ってからしばらく、特に担当という概念はなく、強いていえばKAT-TUNという概念」担当でした。
もちろん今でも、KAT-TUNKAT-TUNという概念を持ち続けてくれる限り、この船からは降りないだろうという確信があります。


さて、今日は、KAT-TUNのブレーン、中丸雄一さんのお誕生日です🎉🎊🎉
私は現在、「中丸雄一寄りの概念担当」を名乗ってます。

私が中丸雄一さんの好きな所は
・なんとなく、性格悪そう
・頭が良い
・仲間以外には冷酷な感じ
・手の美しさ
・身体のラインすべて
・顎のライン
・直接的ではない、エロさ
・雄感の強いエロさ
・冷酷なクセに、意外と涙脆いところ
・「KAT-TUN」を愛してる所
・たっちへの過保護さ
・たまに死んだように見える目
・向上心の強さ
・新しいものに常に挑戦する姿勢
・ビビりなのに、銃をぶっ放す時の冷たい目
・「エゴサしてます」と公言し、ファンをビビらせるところ
・そして本当にエゴサしているだろう狂気
エゴサに悪口はつきものだろうに、それでもエゴサをやめないメンタルの強さ
・hyphenへの、そこそこ厳しめの態度
・hyphenに対し「感謝してます」と言いつつ、「We are KAT-TUN」でhyphenのセリフ(口上)をなぜか男性の声にした等、うっっっっすら馬鹿にしてるよね?という態度
・「ブラホック外し」などというおふざけ100%に思える企画を冷静に競技として捉え、分析し、向上しようという狂気

などなど、たくさんあります(自分でも書いていて思ったよりあるなってビックリした)。

亀ちゃんもたっちゃんもめちゃくちゃ好きだけど、中丸雄一がいてくれなかったら、ここまで戻ってこれなかったかもしらん。
いや、やっぱりKAT-TUNKAT-TUNである以上、戻ってきたのかな。
KAT-TUNって私の青春だしな。
今もずっと私は終わらない青春を追いかけてるんだ・・・(誰)




まぁでも今日はなんせ中丸雄一について書きたいんですよね。
だって誕生日だから!!!!!
誕生日の人って、その日世界でいちばん偉いから!!!!!

私は、中丸雄一って「リア恋」と「ギャップ」の天才だと思ってます。
しかも、「大人向け」のリア恋とギャップの天才だ。
・基本的に誰にでも冷たそうなのに、懐に入った人への甘やかしぶりから、「彼女にはめちゃくちゃ優しいんだろうな」という期待を抱かせるところ
・滅多にないが、子どもと関わる企画等での子どもへの対応から、「いいパパになるんだろうな」という期待を抱かせるところ
・彼女に一途そうなので、「浮気しないんだろうな」という期待を抱かせるところ
・懐に入った人間へのみ見せる無邪気な姿から、「結婚しても楽しく暮らせそう」という期待を抱かせるところ
・「なんかよく分かんないけど、家族は絶対に守ってくれそう」という謎の安心感
・両親への紹介がめちゃくちゃスムーズにいきそう
・なんか知らんけど、お父さんとかお母さんにめちゃくちゃ気に入られそう
・彼女の両親の悪口だけは言わなさそう

リア恋要素だけでもこんなに!!!!!ある!!!!!

私は中丸雄一のことをリア恋枠として見てないけど、大人のリア恋枠としてピッタリだなぁと常々思っている。

しかも、私はまだ確認していないけど、「ベビーワセリンリップ」のCMに起用されたらしく、ピンポイントで大人のリア恋心(?)をぶち抜いてきてんなぁ!?!?!?って感じです。

KAT-TUNって、あんまり家庭の匂い?がしないというか、生活感があんまり漂わないなぁとは思ってるんですよ。
もちろん、どんなアイドルでも、生活感生々しいってことはないけど、ファンじゃない人からすれば、KAT-TUNって生活感全然ないんだろうなぁって思う。
でも、そんな中でも中丸雄一は一見「KAT-TUNっぽくない」ビジュアルやキャラや佇まいで、大人女子に簡単に妄想させてしまうんだなぁ〜!

そしてたまに見せるエロさ・・・やっぱり人間ってギャップに弱いんですよ。
ビビりで頼りないと思い込んでた中丸雄一のゴリゴリの雄感強いギャップに、そりゃみんなイチコロになるわな!って感じですよね。

ちなみに私がすきなのは数年前のWINKUPか何かの中丸雄一。
昼休みにわざわざ買いに行ったぐらいエロかった。
雄感エグくてオススメ。
雑誌名間違ってたらごめん。



何が言いたいのか分からなくなってきたけど、書き出したら止まらなくなった。
とりあえず、中丸雄一さん、お誕生日おめでとうございます!